私たちはみんなつながっている

ジャンベ

こんにちは。カウンセラーの坂上です。

私は趣味で、ジャンベ(またはジェンベ)というアフリカンドラムを10年近く習っています。かけた年月から考えると相当上手くなっていてもおかしくないのですが、楽器の音がかなり大きいこともあり、家ではほとんど練習できないので、毎回初めてというような有様で、皆目上達しません。でも、リズム音痴の私にはいい脳トレだと思って、今も細々と続けています。

その初めてのレッスンで、先生が叩いたジャンベに私のジャンベが共振し、打面が震えるのを掌に感じた時、私はとても感動しました。もちろん共振・共鳴現象のことは知っていましたが、その振動に「あぁ、つながってる!」と感じたんですね。

ユング(スイスの精神科医・心理学者)は、私達の意識の下には個人的無意識があり、そのまた下には集合的無意識があると言いました。 人間の手に例えれば、1本1本の指は独立していますが、掌は一つですよね。それぞれの指は1人1人の意識+個人的無意識を表していて、掌が集合的無意識と考えるとわかりやすいと思います。集合的無意識は、民族や国家や文化的な違いを超えて、全ての人と繋がっている人類の無意識の深層です。交流がなかったはずの世界各地に同様の神話が存在するのも、そのことを証明していると言われています。
私はジャンベの共振に、「人間もこんなふうにみんなつながってるんだなぁ」と感じて感動したのです。

話は少し変わりますが、夏目漱石は『行人』という作品で、誰よりも親しいはずの妻と理解し合えずに苦しむ主人公を描きました。精神に変調を来たしかけている主人公を心配して一緒に旅行に出た親友に、主人公は「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞きます。
主人公の抱えているどうしようもない孤独感は、近現代に生きる私達ひとりひとりが持っているものかもしれません。私も思春期の頃は寂しくて寂しくて、死にそうなほど寂しかった覚えがあります。それはきっと、バラバラに存在して見える指1本1本の寂しさであり、実存的な孤独感だったのでしょう。でも、ユングが言うように、実はその無意識の深層、掌の部分でみんながつながっているのだとしたらどうでしょうか。もちろん一人一人の個性はあるけれど、大本は一つで、みんな一人ぼっちではないのだとしたら。

私たちの悩みの多くは人間関係から生じています。いろいろな人(家族も含めて)がいて、どうしてもわかりあえないことは多々あります。そのことで葛藤し、傷ついたり傷つけたりすることも往々にしてありますよね。でも一方で、私たちは深いところでつながりあい、共振・共鳴し合いながら生きているような氣がします。 今、これを読んでくださっているあなたとも、時と場所を隔ててお互いに共振し合ったからこうして出会えたのではないでしょうか。私たちはつながっていて、決して一人ではないのだと思います。
ですから、私も時には氣持ちが落ち込んだり、やる気がなくなったりすることはありますが、できるだけ明るい言葉や想いを発することを心がけて、これからもっと素敵な人やモノに出会いたいと思っています。

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